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野望が欲望に変わるとき。

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小さい頃の経験とか感情って 知らぬ間に今の生活にリンクしてるなぁ、と 最近感じるのです。 今日は、そのひとつを。 家に対しての野望 小さい頃から、引っ越しをたくさんしてきました。 転勤族じゃないけど地元内で転々と。 学生のときだけで10回ほど。 いろんな家に住んできたけど どこも「好き」なところがなくて。 自分の家が嫌で嫌で仕方がなくて。 というのも、こんな事がありました。 床って座るところじゃないん? 友達の家はね、みんな床だったんです。 その床に椅子やら、ソファやら、ベッドがあるんですよ。 適当に座って〜 皆その言葉の通り、適当に座るわけです。 椅子やら、ソファやら。 うちはずっと畳の家だったから 家は地べたに座る、って思ってたんです。 あ、床って座るところじゃないんだ っていう衝撃以上に どうしてうちは畳なんだ、 どうしてキレイじゃないんだ って、何か、すっごい悔しかったんですよ。 「床に座らないタイプのお家」が 羨ましくて仕方がなくて。夢しかなくて。 それがキッカケで 『毎月無料で配布されるSUUMOの雑誌を 賃料高い順から見て、こういう家に住みたい』 を想像する事が趣味になりました。 が、が、! 10回、引越しをしたけど 「床に座らないタイプのお家」に住む夢は 想像だけで終わってしまいました〜。くぅ〜。 床はすぐそこ 上京が決まって、初めての家探し。 ずっとSUUMO見て想像するだけだったから、 いざ本番!という気持ちだったわけです。 床のお家であればどこでもいいです!って 不動産屋さんに伝えて探してみると 東京には床しかねぇええええ! 畳なんて、ないじゃぁぁあん! さすが!とうきょおおおおおう! もう、そこら中、みんな床。 こうして長年の夢、 床のお家を手に入れました。 そんなこんなで 上京してからも引越しが多くて いまのお家は4軒目です。 全部床です。 ところがどっこい。 ひとり暮らしの部屋なんて狭すぎて 座らないタイプの家具なんて置けやしない。 そして、ソファを買ったはいいが、 結局、地べたに座る生活をしております。 実はいま、5軒目のお家を探していて。 もう少しキッチンが広くて過ごしやすい所。 それが手に入るなら、 少し遠くてもいいし 少し古くてもいいし なんなら、畳のお家がいいな、なんて。 不思議ですね。 畳きらい!すかん

東京タワーと、ときどきわたし

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昔から東京タワーが大好きでした。 このお仕事をやりたい、っていう前から 東京に行きたい、っていう願望はあって。 東京タワーの写真に、文字入れ機能使って 「諦めなければ夢は必ず叶うよ」 なんて自分で文字入れしちゃって。 携帯の待受けにしてました。 (今思うと、まじでクサくてダサい) 東京タワーに拝みまくる 上京前はオーディションのたびに 福岡から出てきていて。 超強行突破なスケジュールでも 必ず毎回東京タワーを見に行って。 待ってろよ!またすぐ東京に来るからな! って言って福岡に帰る、ってのを繰り返しておりました 心の友、東京タワー なんだかんだ夢叶って 17歳のときに上京しちゃった訳です (くっさいセリフの待受けのおかげ) ほら見ろ!ちゃんと東京来たぜ! 絶対この場所で成功するから! と、上京1日目に 東京タワーへ報告と誓願をしました (東京タワーに執着しすぎてキモい。。) 東京タワーにすがりまくる でもまあ、上京したからって うまくいく事ばかりじゃなく。 というか、うまくいく事なんてほぼ無く。 何かあるたびに 東京タワーに行って(だいたい夜) わたしは東京にいるんだ 東京に来れてる事が幸せなんだから! もっと踏ん張らな! と、自分を奮い立たせてました。(だいたい夜) ぜってぇ負けねえ、東京タワー そもそも、なんで東京タワーそんなに好きなんだ、と疑問に思いました。 田舎もんが 東京のシンボルに憧れてるだけ? まぁ、それもある気がします、ミーハー。 でも、それ以上に感じるのが 確固たる意志、みたいなやつ。 この、色んな大人の事情が入り交じる グルグル巻きな東京の地で!揺るがないよ! みたいな、なんか、そういう強い意志を、 東京タワーから感じます。 ライトアップ、なのに スポットライト浴びてるように見えるところも、好き。 そういうところが、 夢とか希望とかを持っている自分を 肯定してくれるように感じるんですよね。 東京タワーの見える家に住む グルグル巻きな東京にしっかり揉まれて 這い上がってってのを繰り返していくうちに 「毎日をとにかく、がむしゃらに生きる」ようになって。 不思議と東京タワーに行かなくなったんですよねぇ。あらまぁ。 そしていつの間にか「実現ノート」に 東京タワーの見える家に住む って書いていたんですよ。 憧れで追いかけてきて 辛い

最高の人生のつくりかた

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どんな場所でも、 今いる場所が 自分にとっての修行道場 いまの場所から抜け出さない為の言い訳なのかも、なんて思った時期もあったけど。 わたしが大事にしていることの一つです。 人間関係がうまくいかないとか 自信が持てないとか 意味あるの?これ、とか やり甲斐を感じられない環境って 少なくないと思うんですよね。 あー早く終わらないかなー って思うよりも こういう状況乗り越えたら わたし強くない?最強の第一歩じゃない? って楽しんじゃう方が楽じゃないですか。 なんならネタにしちゃう。 そう思う事でなんか、ゲーム感覚で楽しめるんですよね。 ゲーム感覚といえば。 最近見た映画。 【LIFE IS BEAUTIFUL】 強制収容所に収監された ユダヤ系イタリア人の家族のお話。 帰りたいっていう息子に 「これはゲームなんだ!ゲームに勝てば帰れるよ」と嘘をつき続けるんですけど、 どんな状況でも、不安にさせないように 明るく楽しく、笑顔で振る舞うんです。 その姿に、家族も、自分も 希望を捨てずに生きる道を見つけられるんですよね。 映画と、実生活との世界観は違うけど 抜け出せない状況をどう生きるか っていうところでは同じな気がします。 わたしの人生素晴らしいな〜もぉ〜 ってみんなが言える世界になりますように。

刻まれることば

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環境が人をつくる 中学生の時、担任の先生がよく言ってた言葉。 当時のわたしにはピンと来なかったけど ずっと頭には残ってて。 いま思うと本当にそうだな、って 大人になって何百回も頷いた言葉。 反対に、 人が環境をつくる とも教えてくれました。 人と環境は紙一重で 自分の行動で環境は変えられるし その環境によって もう1段階自分が変わる、の繰り返し。 いいことの無限ループになるんだなぁ。 何かある度に、この言葉がふわっと浮かびます。 掃除をサボった時とか 誰かが悪事をはたらいた時とか 怒られる時に言われてた言葉なんですけどね。 学校生活の中の小さな出来事が 大人になっても生きてくるんだね。。 ありがとう、せんせい。 りせつ

笑った顔のちから

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Instagramでアップできる写真を漁ってたら 舞台の稽古中の写真がたくさん出てきた。 みんな大きな口あけてグシャグシャに笑ってる写真 お酒飲んでパッパラパーになってる写真 真剣な顔のフリをしてる写真 どれも  ふとした瞬間のもので これ撮ったの誰よ!ってスマホに喋りかける。 ひとりだけど、お家にいるけど、 なんかみんなと共有してる感じがして 楽しくなった、きょうの朝です。 そう、写真を漁ってて思ったのだけど みんなに会えるようになったら たくさん写真を撮ろうと思ったの。 笑った写真。ちょっとした隠し撮り。 数少ない、大切な人たちの笑った写真に 今回とても救われたのです。 スマホじゃなくてカメラで撮って 残るかたちにしたいなぁ。 その瞬間をおさめる。 会えないことで知った。カメラの醍醐味。 りせつ

旅する本

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大好きな作家さんが出来る喜びを 小学生の頃に味わえてたら良かったなぁ。 原田マハさん 読んでいるとね、 その情景が思い浮かぶだけじゃなくて 人物の心と一緒に巡っているような感覚になるんです。 少しカッコいい言い方をすると 旅をしているような気持ち。 「感情移入が出来る本だった」って感想をよく耳にするけど それとはまた違った感覚。 足並み揃えて歩いてる感じがして とても心地よいのです。 いちばん最初に読んだのは 「生きるぼくら」 コンビニ弁当ばかり食べていた引きこもりの青年が とあるキッカケで田舎に住む祖母の家で 願ってもいないお米づくりをさせられる。 慣れない田舎生活、農作業に嫌気がさしつつも ご近所の人たちや自然の優しさに包まれて 初めて、【有り難み】を感じるようになり 一歩ずつ前に歩いていく物語。 人は 人に救われるんだよね。 人がつくった存在にも救われる。 原田マハさんの本を読み終わったあと 大きく深呼吸をして余韻に浸る瞬間が とても幸せなのです。 ちょっと忙しくて、疲れちゃったときに 読むのがおすすめです。 りせつ